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数秘術関連等ツイート(2017年3月分)

 

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「0」の病、「9」の病 (2017.3.31 8:34)

 

0」の病、つまり「人生における意味の消失」から逃れようとするあまり、今度は「9」の病、つまり「あぁ!人生は意味で満たされている!」という過剰な歓喜に包まれるという反動。

0」と「9」の真ん中くらいがちょうどいい。

 

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グラブルとFGO (2017.3.30 13:35)

 

他とコラボし、盛んに広告展開して一般人を取り込もうとするグラブルは「3」。

他とコラボせず、ユーザーにも媚びず、コンセプトを頑なに守るFGOは「4」。

何となくそんなイメージ。

 

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統合(integrity) (2017.3.29 13:14)

 

統合(integrity)」の語根は「tact(触覚)」であり、この語根からの派生語として「触れ合い(contact)」などがある。

逆数秘術的に捉えるならば、奇数(動的・混沌・チカラ)と偶数(静的・秩序・カタチ)が触れ合うことで、偶奇両有たる「9(統合)」へと至る感じか。

 

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「見る」と「見える」 (2017.3.29 12:56)

 

健常者ならば特に意識せずとも目を開けてさえいれば何かしらが「見える」わけで、これは無為自然の「9」に繋がる。

一方で意識して何かを「見る」ことは「2」に繋がり、「9」という状態から「2」が差し引かれれば「7」という検証や考察が現れる。

意識して「見る」ことから思考は始まる。

 

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急がば回れ (2017.3.29 12:39)

 

現代数秘術のチャートリーディングにおける「過剰数」と「不足数」は共に人生における重要な課題を示し得る。

そしてそれら課題となる「」にはストレートに取り組むよりも、かえって一度「逆数」と向かい合ってみた方が近道になることもある。

数秘術においても「急がば回れ」は成立し得る。

 

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ペルソナとシャドウ (2017.3.29 11:38)

 

社会はその運営上どうしても偶数(静的・秩序・カタチ)寄りであり、一方で奇数(動的・混沌・チカラ)は「抑えるべきもの」として扱われがち。

そう仮定するならば、社会を生きる上で被るペルソナ偶数であり、悪しきものとして仕舞われるシャドウ奇数であるパターンが多いのではなかろうか。

 

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野性と理性 (2017.3.29 11:29)

 

1(野性的直観)」と「8(理性的直観)」。

3(野性的感情)」と「6(理性的感情)」。

5(野性的感覚)」と「4(理性的感覚)」。

7(野性的思考)」と「2(理性的思考)」。

奇数(野性)と偶数(理性)が互いに補完し合うことで「9(自然)」へと統合される。

 

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馴れた野性 (2017.3.28 16:22)

 

飼い犬は自らの主人との間に「2」という線、つまり「信頼」や「従順」という線を引く。

しかしその線の無い頃、または線が途切れてしまった後は「7」という「警戒」や「疑念」だらけとなる。

7」という奇数の方が野性的であり、「2」という偶数は「馴れた野性」とでもいったところか。

 

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身体と「数」 (2017.3.28 12:51)

 

ヒトの身体を「」で喩える際、「1」を「」、「2」を「」などと上から順に照応させてもいいし、他のやり方でもいいと思う。

でもヒトは自らの身体をイメージする際、部位ごとではなく「総体としての身体」をイメージする。

その「ひとまとまりの身体」を僕なら「9」と照応させるだろう。

 

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臥薪嘗胆 (2017.3.26 14:39)

 

父の仇である越王への復讐を忘れぬよう堅い薪(たきぎ)の上に寝て、見事に越王を破った呉王。

呉王に敗れた屈辱を忘れぬよう苦い胆(きも)を舐め、見事に呉王を滅ぼした越王。

臥薪嘗胆」とは正に「8」というリベンジのための忍耐であり、これをなす原動力は「1」という不屈のプライドだ。

 

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独身運 (2017.3.25 23:26)

 

結婚運が無かったから結婚できなかった」などと後ろ向きに捉えるよりも「独身運が良かったから結婚しなかった」と前向きに捉えようぜ。

 

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兵器 (2017.3.24 14:35)

 

それぞれの「」と兵器

1」:貫通爆弾
2」:誘導爆弾
3」:クラスター爆弾
4」:地雷
5」:燃料気化爆弾
6」:中性子爆弾
7」:魚雷
8」:戦略核兵器
9」:生物兵器
0」:反物質爆弾

 

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自棄 (2017.3.23 12:46)

 

自棄になって暴れ始めた「1(個人)」が、重厚長大な「8(システム)」に復讐を果たす図。

 

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表明してみる (2017.3.22 23:29)

 

たとえばアドバイスを求める際にダイスで「3」が出たならば、楽しむ・遊ぶ・感情を豊かに表すなどをイメージしやすいと思う。

でもいきなりそれらを行うのはハードルが高いから、とりあえず「自分が今やっていることを表明してみる」というのでもいいかも。

そこから「流れ」が変わるかもね。

 

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まず自分を信じる (2017.3.22 14:30)

 

7」の水木しげるらしい答えだ。(参照

戦争体験等で自らの「7(疑う)」をフル稼動させた結果、消去法的に信じるべき存在を自らに絞ったということなのかもしれない。

ヒトは確かな「2(信じる)」を得るために「7(疑う)」をし続ける。

 

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ハイブリッド (2017.3.22 12:31)

 

心屋仁之助氏のいわゆる「前者・後者論」と逆数秘術における奇数(動的・混沌・チカラ)と偶数(静的・秩序・カタチ)。

両者は全く異なる理論だが、人々は両極のうち一方のみを持つわけではなく、割合の大小はあれど「ハイブリッド」なのだろう。

逆数秘術ではそれを偶奇両有の「9」で表す。

 

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涙を流す先 (2017.3.21 20:43)

 

涙を周囲にもわかるよう、自らの泣き声と共に外へと流すのが「3」マインドという感情のカオスであり、そうやって自らの中の毒を吐き出す。

涙を決して周囲に知られないよう、ただ静かに自らの心の内で流すのが「6」マインドという感情のコスモスであり、そうしながら他の誰かの傷を治し癒す。

 

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疑惑 (2017.3.21 19:41)

 

今テレビで江原啓之が高嶋ちさ子の悩みに答えている。

僕は以前から江原氏の番組を観ていてなんとなく疑問に思っている点がある。

それは「この人もしかしたら数秘術使ってるのかも?」という疑問だ。

違ってたらごめんなさい。

 

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媒介 (2017.3.21 16:06)

 

自らが何かを観察するためには、光や波(電波等)という「媒介」が必要となる。

そんな「媒介」という外側の他者を必要とせず、自らの内側に存在する光や波を用いてありのままを観ることが「直観」というものなのかもしれない。

数で喩えるなら「1(動の直観)」と「8(静の直観)」だ。

 

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行為=存在 (2017.3.21 15:18)

 

1」は次の「2」とは異なり、自他の線引きがなく、自己が存在の全てであることを表し得る数。

更に行為者と行為自体も分かれることがないため、行為自体を客観視かつ自己分析する必要もない。

衝動的・発作的に「気が付いたらやっていた」というのは最も純粋な「1」という「行為=存在」だ。

 

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勝利の「7」 (2017.3.21 14:07)

 

カバラ数秘術」などと謳(うた)うのであれば、「7」の象意を生命の樹依拠の「勝利(ネツァク)」にしないとね。

 

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観ぬように観る (2017.3.20 16:23)

 

自己が他者をきちんと観る、つまり観察とは正に「2」的な行為だが、この場合はむしろ他者という一点を観過ぎてしまうことで、そのすぐ隣にあるものが観えなくなってしまう。

そこで普段は「9」的に広くぼんやりと観る、つまり「観ぬように観る」ことで全体を大まかに把握し、危険を回避する。

 

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ゲート (2017.3.20 16:11)

 

ヒトは人生を送る上で様々な「ゲート(門)」を自ら築き、また他者や慣習から一方的に与えられる。

ゲート」という存在によって、元々は同じ景色であったはずのものが、その内と外とで異なる色彩を帯び始める。

その「ゲート」を超えない限り、周りの景色は常に色褪せたままとなってしまう。

 

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線を引く思考 (2017.3.20 15:32)

 

逆数秘術では「2」を思考の数と捉えている。

2」とは正に「線を引く」であり、思考する主体者と思考される客体物とを厳格に線引きすることから思考は始まっていく。

もし自らという存在について思考するならば、思考する自らと思考される自らとを厳格に線引きし、別物として扱うこととなる。

 

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領分 (2017.3.20 11:27)

 

4」マインド「余計な手を出さず、自己の領分をしっかり守っていこう

6」マインド「自己の領分だけに拘らず、積極的に周囲を助けていこう

両者の言い分はどちらも間違ってはいないが、「4」を強く求められる場においては「6」が間違いであると認定されがちだし、逆もまた然りだ。

 

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知性の拠り所 (2017.3.19 23:09)

 

何かを正しく「7(疑う・ほどく)」するためには、自らの知性が正しく「2(信じる・繋がる)」できる拠り所が必要。

2」という思考のコスモスが確固たるものであれば、「7」という思考のカオスに振り回されずに済む。

知性の拠り所との繋がりを強化する最も手っ取り早い手段は「読書」だ。

 

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雑な理解 (2017.3.19 10:44)

 

源流へと川をさかのぼり、湧き上がる水の清冽さに触れること。

これが僕なりの「カバラ」に対する極めて雑な理解。

 

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人生の主人公 (2017.3.18 20:11)

 

自らが主人公となるべく集団の中でがむしゃらに頑張るよりも、人生における登場人物を極限まで減らせば、嫌でも主人公になれるよね

という考え方でもって人付き合いを減らしていく人生術。

 

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神秘体験 (2017.3.18 17:24)

 

中途半端な神秘体験追求の何が良くないかって、いわゆる「神秘」「非神秘」を徒らに分け隔て始めるところじゃないかな。

 

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価値の高低 (2017.3.18 13:57)

 

数秘術を理解するために「」を分類すること自体は問題ない。

その分類された概念間における「価値の高低」が問題。

そこには分類する当人の持つ「価値の高低」がそのままの形で映し出されていってしまう。

 

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未熟と成熟 (2017.3.18 13:45)

 

数秘術においては「1」を未熟のラインに、「8」を成熟のラインに置く流派がある。

でも「1」の中に逆数である「8」を、「8」の中に逆数である「1」を垣間見る僕にとっては、未熟と成熟の間における価値の差異は存在しない

 

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コドモとオトナ (2017.3.18 13:01)

 

僕は奇数(動的・混沌・チカラ)を「コドモの数」、偶数(静的・秩序・カタチ)を「オトナの数」と捉えているけれど、これは未熟と成熟を表すものではないよ。

むしろコドモの中の成熟性やオトナの中の未熟性を理解するために用いる対称性だね。

どんな人にもコドモオトナが隠れているから。

 

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トートバッグ (2017.3.18 10:41)

 

スピリチュアル」という言葉は、まるで入れやすくて出しやすいトートバッグのようだ。

 

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「生きる」 (2017.3.17 8:26)

 

生きる」以上のプレゼントは無いし、「生きる」以上の嫌がらせも無いんだろうな。

 

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「3」を目覚めさせる (2017.3.16 14:57)

 

自らの強過ぎる責任感や倫理観、つまり「6」マインドによって自らを自罰的に攻撃するくらいなら、自らの中に必ず眠っている逆数の「3」を目覚めさせるといい。

自分をきちんと愛する
喜怒哀楽を素直に出す
恥ずかしがらず逃げる
感情の声を無視しない
楽しむ自分を罰しないetc

 

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「6」性の強い人 (2017.3.16 14:39)

 

他者愛・奉仕精神・調整志向などの「6」性が強い人。

病などで辛い思いをしている相手(親など)に対して過剰にホスピタリティマインドを発揮することで、治らない相手への憤りや治せない自分への腹立たしさが増すこともある。

それが高じると逆数「3」という自己愛や奔放で逃避を図ることも。

 

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いちいち叫ぶ (2017.3.16 13:51)

 

元々「不思議」の中で生きているのに「なんて不思議なんだ!」などといちいち叫ぶヒトの営み。

 

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ビッグクランチ (2017.3.16 13:43)

 

1」という「始原」がビッグバンを起こした結果、「9」という「宇宙」が膨張し続けていく。

そして膨張の限界点を迎えた「9」が「1」へと収縮していくというビッグクランチ理論。

数秘術的にこじつけてみると、あながちこのビッグクランチ理論も捨てたものではないと思う。

 

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社会への適応困難 (2017.3.16 13:31)

 

僕は「4」の人間であり、自らの「4」的な性質が自閉的に現れていることをよく理解している。

一方で自らのイデオロギーは極めて「5」的であり、反規範・反権威・反常識に彩られている。

4」と「5」という対称的な数が両極端な形で同居していることが、社会への適応を困難にしている感じ。

 

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確実な道のり (2017.3.16 13:07)

 

何も「4」の人だからといって無理やり真面目に生きなくてもいいよ。

あえて「4」の逆数である「5」的に、つまり自由にロックに破戒的に生きてみることで、疲れやすい年齢域に達した時に「4」という安定性やルールの大切さが自然と自らに染み込んでいく。

遠回りだけど確実な道のりだよ。

 

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子の「1」、親の「8」 (2017.3.16 10:32)

 

子供の「1」、つまり衝動的行動や自尊的態度、更には命令不服従などが目立ってくるのは、もしかしたら親の「8」、つまり抑圧的コントロールが強まってる現れなのかもしれないね。

 

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若さ (2017.3.15 14:52)

 

自らの奇数性(動的・混沌・チカラ)と偶数性(静的・秩序・カタチ)によるシーソーゲームを宥め落ち着かせることで、偶奇両有の「9」という「老成」へと達していく。

逆説的に言うならば、奇数性と偶数性の激しいシーソーゲームを繰り広げること自体が「若さ」ということなのかもしれない。

 

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SNSでの配慮 (2017.3.15 13:26)

 

コメントに対する返信の際、文章の最後に普通に記す「」にすら「相手に冷たい印象を与えているのではないか?」と過剰に配慮した挙句、「」「」「」「」などでやたらと装飾するようになったなら、しばらくSNSから離れた方がいいかもね。

配慮も過ぎれば自己への無配慮につながるし。

 

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ヒール (2017.3.14 15:48)

 

同じ「ヒール」でも「3」はあえて悪役を演じ楽しむ「heel」であり、「6」は傷付いた人を治す「heal」って感じ。

秩序(偶数)を破って遊ぶ混沌(奇数)の「3」と、混沌(奇数)を正して秩序(偶数)を取り戻す「6」の違い。

 

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安全な家出 (2017.3.14 12:02)

 

5」的な「家出してやる!」と「4」的な「家出なんか許さん!」の折衷案として「家出するなら安全に」というのはどうだろうか。

 

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占いランキング (2017.3.14 11:03)

 

まず初めに単数変換のやり方を紹介しなければならない分、数秘術による「今日の占いランキング」が普及しないのも無理はないよね。

生月別や生日別(1・10・19・28日生まれは「1」グループ等)ならばまだ導入しやすいけれど、まずは「数」のイメージ定着のためにキャラ化&アニメ化をだな。

 

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情報から離れる (2017.3.14 10:11)

 

いろんな情報に触れ過ぎて、生きている「」を傷付けるくらいなら、情報(源)から離れた方がマシってもんだ。

 

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盆栽 (2017.3.13 18:53)

 

テレビで盆栽について取り上げていたが、枝に針金を巻き付けたり、幹に傷を付けたりして、風雪に耐えている形(なり)を再現していた。

狭い鉢の中で生えるその姿は実に「4」的だが、美の実現のために矯正を重ねる姿は正に「6」的な「削ぐ美」に見える。

 

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固い理想 (2017.3.13 16:25)

 

6」マインドの強い人は利他・奉仕・愛育などで苦しみがちだが、これは全て当人の「固い理想」により生み出されるもの。

3」の利己や自愛でほぐして柔らかくしていけば、その理想はきっと長持ちするよ。

 

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「9」の境地 (2017.3.13 15:58)

 

何者かになろうとすることを諦めた途端から「9」の境地は訪れるよ。

 

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普遍的慈悲 (2017.3.12 15:46一部改変)

 

奇数性と偶数性の健全な統合の果てに出来上がる「9」とは言わば「アガペー」であり、また「普遍的慈悲」であるとも言える。

これはつまり「世界とは自分自身」であり、そして「隣人を自分自身として愛する」ということ。

世界と自分自身の間にそびえ立つ「境界」が溶けていく大変容だ。

 

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たまたま持つツール (2017.3.12 15:35)

 

自らの生年月日から導き出した「」は別にその人を支配する唯一の本質というわけではなく、たまたま手に持っている「ツール」のようなもの。

その「ツール」だけを得手として使い回しても良いし、複数の「ツール」を使い分けても良い。

肝心なのはそんな「ツール」に己を支配されないことだ。

 

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仮面の裏側 (2017.3.12 15:24)

 

逆数秘術において対称となる逆数同士を「双子の数」と呼んでいる。

つまり一方が存在するならば、もう一方も必ず存在するということ。

どんなに「6」の仮面を着けて秩序の権化として生きている人であっても、リバーシブルの仮面の裏側には混沌志向の「3」が常に自分自身と向かい合っている。

 

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「1」と「2」だけ (2017.3.11 22:16)

 

現代においてもまだ一部の未開の民族の中には、数の数え方が「1」「2」「たくさん」しか存在しないグループがあると聞く。

つまり全世界共通となる明確な数の概念は「1」と「2」だけということになる。

そしてこの「二進法」的な数の概念は、コンピュータの世界における共通言語でもある。

 

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乱暴なバランサー (2017.3.11 14:38)

 

ある意味、世界とは乱暴なバランサー

世界が奇数(動的・混沌・チカラ)で満ちた後、偶数(静的・秩序・カタチ)の大嵐が吹き荒れることでバランスを取り戻そうとするし、逆もまた然り。

奇数的な個人主義・自由主義の後には、偶数的な集団主義・全体主義が手ぐすねを引いて出番を待つ。

 

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まずは空腹に (2017.3.11 13:06)

 

食事に満足したければ、まずは思いっきり空腹になってみるといい。

9(満)」を喜びとして感じるために、まずは「0(空)」を実現する。

0」が中途半端だと「9」を喜びとして感じられなくなっていく。

 

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器と中身 (2017.3.11 12:45)

 

偶数(静的・秩序・カタチ)とは「器(入れ物)」であり、奇数(動的・混沌・チカラ)とは「中身(入れる物)」。

」の大きさと「中身」の量、この両者のバランスをとることで、偶奇両有たる「9(中庸)」が現れる。

 

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「理想」の残り滓 (2017.3.11 12:20)

 

愚痴」として吐き出されるのは、消化不良となった「理想」の残り滓(かす)

 

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原初の荒ぶり (2017.3.10 22:34)

 

戦う時は脇目も振らず全力で進む。

逃げる時は脇目も振らず全力で退く。

それが「1」という獣性であり、「8」という理性のリミッターによって最も抑圧されてしまう原初の荒ぶり。

 

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「9」の孤独感 (2017.3.10 18:02)

 

今日の逆数秘術講座において、生徒さんが「9」の孤独について話していたのが印象に残った。

1」から「8」までを内包し、奇数と偶数とが混じり合い、自他の境界線が曖昧で、何となくもやもや感が漂い、逆数「0(虚無)」が常に側に控える「9」ならではの、説明のしにくさが招く孤独感。

 

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ウェイト版とトート版 (2017.3.10 17:53)

 

6」のウェイトによるウェイト版タロットは実に偶数(静的・秩序・カタチ)的に見えるし、「7」のクロウリーによるトートタロットは実に奇数(動的・混沌・チカラ)的に見えるね。

 

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道 (2017.3.10 10:07)

 

道なき野を駆け巡って、新たな道を切り拓く未来志向の「1」。

眼前の道を踏み固めて、今ある道を守り保つ現在志向の「4」。

埋れた道を掘り返して、古びた道を考え辿る過去志向の「7」。

 

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熱い無関心 (2017.3.9 22:31)

 

1」マインドにおける関心の矢は、例えどんなに外の世界や他者を観ようとも、全て自らに向かって放たれる。

9」マインドにおけるそれは、自らの意図や意識とは関係なく、強弱も方向もバラバラに飛んでいく。

それは喩えるなら「熱い無関心」であり、「0」の「冷たい無関心」とは異なる。

 

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自分事から他人事へ (2017.3.9 22:21)

 

自らの為すこと全てを自分事としてのみ捉える「1」マインド。

自らの為すこと全てを他人事のように捉える「9」マインド。

1」から「9」へ、自分事を広い広いセカイの中に溶かすことで他人事にしていく長い長い道のり。

そうして溶けきった「9」の中から新たな「1」を引き揚げていく。

 

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暗がり (2017.3.9 21:49)

 

自らがコツコツと築いた箱庭のように狭いセカイを守っていく「4」的欲求と、そんな狭苦しさから自らを解放するかのように壊していく「5」的欲求。

相反する欲求だが、一人のヒトの中で両者は常に同居しており、一方がもう一方を暗がりに押し込めているだけ。

 

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「美」で護る (2017.3.9 11:49)

 

2」という「」を強くしても、「4」という「」を固くしても世界を護れなくなった時、「6」という「」によってより広い範囲が護られていく。

それは「道徳」「倫理」「教育」「理想」「奉仕」、そして「友愛」だ。

 

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守るべきもの (2017.3.9 11:43)

 

外敵の攻撃を防ぐために築く「4」の「」の守りは、攻めてくる外敵の方ではなくて、その「」の中にいる「守るべきもの」にこそ意識を強く向けることで、より強固なものとなる。

 

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一貫性 (2017.3.9 9:59)

 

いわゆる一貫性における「」を狭い一本道のように捉える必要はないよ。

もっともっと広く「一つの大陸」くらいに捉えればいい。

その大陸の中で寄り道しようが彷徨おうが「一つの大陸」の中にいるという大まかな一貫性は変わらないのだから。

そんなアバウト性に助けられることもあるさ。

 

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辻褄 (2017.3.9 9:45)

 

当人の中で「辻褄の合わないもの」が増えるということは、それだけ人生において様々なことを体験してきた証。

だから一貫性がないことを徒らに自責しなくてもいい。

異なる思想、異なる願いが同居するのが、正に「人間である」ということだから。

その闇鍋からは美味しいものだけ摘めばいい。

 

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矛盾 (2017.3.9 8:28)

 

逆数秘術において、奇数(動的・混沌・チカラ)でもあり偶数(静的・秩序・カタチ)でもある「9」とは正に「矛盾」であり、それこそが世界そのもの。

9」の如く自己の定義付けに戸惑う人は、自己の「矛盾」と他者の「矛盾」とを共に赦すことができるようになれば、きっとラクになれるはず。

 

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壁 (2017.3.9 0:10)

 

」を作って相手を遮るだけの「4」と、作った「」で相手を押し潰す「8」の違い。

 

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分類 (2017.3.8 22:51)

 

ヒトを「」や「」で分類するよりも、しない方が僕はたぶん好き。

 

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流出説 (2017.3.8 21:43)

 

いわゆる「流出説」においては、「完全なる一者(神)」から流れ出した世界が下流へ行くにつれて濁り汚れていき、ヒトも含めて不完全なものになっていく。

でももし源流たる「完全なる一者(神)」が汚れていたならば、下流に住まうヒトの手でむしろそれを浄化できるのではないかと考える不遜な僕。

 

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国際女性デー (2017.3.8 8:29)

 

今日3月8日(→「2」)は国際女性デー。1904年3月8日(→「7」)にニューヨークで女性労働者が婦人参政権を求め起こしたデモが起源。

2」は女性性を表す偶数(静的・秩序・カタチ)のうち最も純粋な数。

男性に一方的に与えられた「女性」という役割に対する「7(懐疑)」の抵抗。

 

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「枠」の扱い方 (2017.3.7 20:18)

 

4」は「」の内側のみを綺麗に整え、外側の汚れは気にしないイメージ。

6」は「」の内側を綺麗に整えるのはもちろん、外側の汚れも徹底的に綺麗にするイメージ。

つまり「4」にとって大切なのは「」で囲んだ空間のみであり、「6」のそれは「」という構築物全体ということ。

 

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珍しくない「11」 (2017.3.7 20:04)

 

現代数秘術における「マスターナンバー」のうち「11」となるケースは、生年月日を単数変換していく途中に「11」「29」「38」「47」が出る場合。

一方「2」となるケースは、単数変換の途中で「20」が出る人だけ。

つまり「11」の人って割と多いから珍しくも何ともないよってこと。

 

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「6」の使命 (2017.3.7 19:19)

 

6」の人の使命を「均質化(ホモジナイズ)」と規定してみても面白い。

幼い子供や拙い人々の教育や技術を一定の品質にまで底上げし、社会の凹凸を減らしてスムーズに動くようにしていく使命。

教え諭す対象に「美しき理想形」を示し、それに近付けるよう徹底的に原石を磨き上げる使命などだ。

 

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講座スタイル (2017.3.7 18:13)

 

理想の形に近付けるべく、手取り足取り指導していく「6」的スタイル。

必要最低限のものだけ与えて、後は自助努力に委ねる「4」的スタイル。

僕の講座は後者のスタイルなのでご了承くださいね。

 

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微睡(まどろ)む「9」 (2017.3.7 17:42)

 

1(動的直観)」と「8(静的直観)」。

3(動的感情)」と「6(静的感情)」。

5(動的感覚)」と「4(静的感覚)」。

7(動的思考)」と「2(静的思考)」。

どちらか一方に偏らず、両者の真ん中辺りで曖昧に微睡(まどろ)むイメージ、それが「9(動静混交)」。

 

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居るけど居ない (2017.3.7 14:41)

 

みんながそれぞれ互いの存在を脅かさず、緩やかに存在し続けるというのは正に「9」的な多様性世界。

そして「9」マインドの強い人はそんな多様性世界を自らの言動で妨げることのないように、逆数「0」へと転化することで「居るけど居ない」という「空気」のような存在になることもある。

 

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目的は何か? (2017.3.7 14:34)

 

たとえば「3」の人を「明るい」とか「よく笑う」などとこじつけるのは簡単。

でもより深く分析するなら、その「3」で示される要素が何の目的で使われているのかを注目してみる。

心配をさせたくない、元気付けたい、周りから浮きたくない、などという「6」的な目的だったりもするからだ。

 

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「霊」の無念 (2017.3.6 22:29)

 

いわゆる「」という存在が遺された者に無念を語りかけるケース。

でも実は遺された者が故人の無念を拡大投影したものを「」というカタチで観ているケースもあるのかな、なんてことを考えてしまった。

 

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諧謔の精神 (2017.3.6 22:17)

 

とある噺家が「権力を茶化すのも落語家の仕事の一つ」などと述べていたけれど、これは凄く「3」なイメージ。

社会における過剰な偶数性による支配や命令を笑い飛ばし、自身という「」が飲み込まれないよう命懸けでネタにしていく。

諧謔(かいぎゃく)を弄(ろう)する」のは奇数性によるレジスタンス運動だ。

 

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見えてくるもの (2017.3.6 14:08)

 

数秘術師が述べる「」のイメージ群、その全体像を俯瞰してごらん。

きっとその人の「好き」と「苦手」が見えてくるから。

 

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自己防衛プロセス (2017.3.6 13:57一部改変)

 

4」の築く「」。

それはコミュニケーションにおける疲労を未然に防ぎ、相手の感情に振り回されないよう自らを守る「自己防衛プロセス」なのかもしれない。

論理というレンガを積み上げてできた「」に隠れて、コミュニケーションの毒から自らを守るイメージ。

 

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日本性 (2017.3.5 21:54)

 

愛国心豊かなヒトが本当に愛しているのは「日本」そのものではなくて、きっと「日本性」なんだと思う。

 

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過開放 (2017.3.5 16:39)

 

6(他者愛・責任)」まみれのエルサが「ありの〜ままの〜♪」などと歌いながら「3(自己愛・奔放)」を出していく行為。

でもそれまでが「6」まみれだった分、逆数の「3」を出していくのは自己の開放を超えた「過開放」となるし、それはまるで開け放ち過ぎてドアの蝶番まで外れるイメージ。

 

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「アナ雪」のまとめ (2017.3.5 16:25)

 

結局のところ「アナと雪の女王」は「3(自己愛・奔放)」だらけのアナと「6(他者愛・責任)」まみれのエルサとが、戴冠式後のドタバタの中で互いの要素を交換し合うかのような体験をし、最後にエルサがアナに触れることで混交を遂げ、「9(博愛・赦し)」への統合を果たす物語ってことでどうだろ。

 

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火力調節 (2017.3.5 12:40)

 

1」という「原初的意志」はそのままではただの「チカラ」であり、何の形にもならない。

それに「カタチ」を与えるべく、ヒトは逆数「8」という「コントロール」や「具現化」を使いこなしていく。

そんな「8」機能がまず取り掛かるのは、自らの「1」という意志の炎の火力調節だ。

 

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僕の似姿 (2017.3.5 12:31)

 

てなわけで僕のこの「数秘術ツイート」も開始から6年半が経過しようとしている。

誰に見られているか良くわからないまま書き続けたツイート群は、僕の中で折り畳まれて、その分厚さを増していく。

分厚くなったそれはペラペラな2次元から3次元へと移行し、やがて僕の似姿として顕現する。

 

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地上波初放送 (2017.3.4 21:43)

 

映画館でも観たけれど、「3」のアナと「6」のエルサの姉妹愛を観ている。

 

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奇数性の反抗 (2017.3.4 14:02)

 

過剰な偶数性(静的・秩序・カタチ)に対する奇数性(動的・混沌・チカラ)の反抗。

2(過重な約束)」と「7(約束の検証)」

4(不要な慣習)」と「5(慣習の反故)」

6(高潔な倫理)」と「3(倫理の逸脱)」

8(苛烈な法律)」と「1(法律の無視)」

 

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静止性 (2017.3.4 13:06)

 

数秘術において「4」には「継続」の意があるが、何かをやり続ける運動性という点では奇数的な概念にも見える。

この「継続」とは、あるパターンの行動をサイクルの中で続けることを指し、遠目から見ればあたかも偶数的な静止・安定状態に見える。

パターン化された運動は静止性を帯び始める。

 

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シンプルに掴む (2017.3.4 12:53)

 

森羅万象を理解するために、ヒトが言語を用いて多種多様に細かく分けた事象や概念を、イメージをまとったいくつかの「」へと集約させ、よりシンプルに掴めるようにしていくこと。

それも数秘術という行いのうちの一つだ。

 

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コナトゥス (2017.3.4 12:33)

 

かつて心の哲学や形而上学にて用いられた概念「コナトゥス(Conatus)」。

事物が生来持つ、存在し、自らを高めつづけようとする傾向を指し、これに似たものとしてショーペンハウアーは「生への意志」、ニーチェは「力への意志」という語を用いたという。

数秘術ならば「1」だろうか。

 

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偶数で踏み止まる (2017.3.4 11:21)

 

奇数(動的・混沌・チカラ)とは正に「1」の如く、どんな条件下でも常に振動し(動き)続けるイメージ。

偶数(静的・秩序・カタチ)とは正に「2」の如く、動き続けようとする奇数を踏み止まらせるイメージ。

ヒトは「2(約束)」「4(慣習)」「6(倫理)」「8(法律)」で踏み止まる。

 

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存在 (2017.3.4 0:43)

 

たとえ絶対零度になろうとも、全ての物体は微細に振動(零点振動)する」という事実。

つまり「存在」とは「1」という最初の奇数(動的・混沌・チカラ)であり、そして「1」とは最もシンプルな「存在」ということになる。

 

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危なっかしい動力炉 (2017.3.4 0:06)

 

夢や目標を達成するために気力や体力を使う」という捉え方ではなく「気力や体力を使い切るために夢や目標を設定する」という捉え方。

それくらい「若さ」とは危なっかしい動力炉。

 

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あえて卑小化 (2017.3.3 11:28)

 

僕は数秘術において、象徴言語としての数を用いて森羅万象の一つ一つを関連付けしていくことを高尚な営みとして捉えず、あえて「こじつけ」と卑小化させている。

卑小化させることで自らが取り扱う数秘術を自らと分離し、自らの手できちんと批判できるようにしていく。

これ結構大事なことだよ。

 

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つられ笑い (2017.3.3 11:03)

 

周囲が笑うことにより自らがつられて笑うのが「つられ笑い」だが、これはつまり周囲が先に笑うことで「ここで笑っていいんだな」という許可を自らに与えていく感もある。

周囲の反応を確かめてからでないと自らの感情表出ができないという点では、TPOを弁えまくる「6」的な現象とも言える。

 

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ワイプ (2017.3.3 10:55)

 

最近のバラエティ番組ではロケ場面の際にいわゆる「ワイプ」でスタジオにいるゲストの表情が分かるようになっていることが多い。

以前からお笑い番組ではいわゆる「つられ笑い」を促すための笑い屋が存在するが、先の「ワイプ」での表情も「つられ笑い」や「つられ驚き」を促しているのかも。

 

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普通 (2017.3.3 10:35)

 

普通」という言葉は自らを普通であると相対的に自覚する人々にとって、唯一とも言える強力な差別兵器であり、いわゆる「特殊」な少数との立場を逆転させる革命気分マシーンでもあるね。

 

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不完全性の呪い (2017.3.3 9:39)

 

昔は「逆数秘術の本書いたろ!」などと思っていたけれど、今ではすっかりその意気も萎えた感。

なぜなら書き終わった時点から「不完全性の呪い」が始まり、自著の更新を自らによって急き立てられるから。

だから僕は自論を完成(という名の不完全)させず、ただただ建て増し工事を続けていく。

 

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食い潰されるな (2017.3.3 8:58)

 

2」という「他者との繋がり」を実現するには、真反対である「他者との隔たり」をも実現する必要がある。

つまり誰と繋がり、誰と隔たるか、もし繋がるとしてもどの場面で繋がるかを明確にしていくということ。

無闇矢鱈と全方位&年中無休外交を気前良く行えば、ただただ食い潰されるだけ。

 

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ライフハック (2017.3.2 21:46)

 

私は何者なのか?
私は何をすべきなのか?
私のいる意味は何か?

これらの定義付けはもちろん当人が自由に行えばいいんだけれど、この定義付けを「数秘術」に委ねてしまうのも一種のライフハックかもしれないね。

いずれにしてもラクに生きられればいいよ。

 

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人生のステージ (2017.3.2 15:17)

 

いわゆる「人生のステージ」をいくつかに分け、今自らがどのステージにいるかを定義し、しかる後に次のステージへの階段をイメージし昇る作業。

でもそんな作業をせず、そもそも「人生のステージ」を分割せず、だだっ広く段差の無い「ただ一つのステージ」で自由自在に踊り明かすのもありだよね。

 

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「外」は「内」 (2017.3.2 14:44)

 

上なる如く、下もまた然り」ということは「外なる如く、内もまた然り」とも言えるわけで。

そうすると今見ているツイッターのタイムラインも結局はただの「自分自身」なんだなって。

 

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迷宮の中の「1」 (2017.3.2 9:57)

 

何もない空間にある「1(衝動)」は、自らの奇数性(動的・混沌・チカラ)をフルに発揮して縦横無尽に動き回る。

そんな「1」を迷宮のように複雑な構造物(システム)の中に入れたなら「1」の奇数性は損なわれ、代わりに偶数性(静的・秩序・カタチ)が出現し逆数「8(制御)」へと反転する。

 

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もっとスピリチュアル (2017.3.1 14:04)

 

スピリチュアルが「言葉」を失えば、スピリチュアルはもっとスピリチュアルになるんだろうな。

 

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露悪 (2017.3.1 13:09)

 

自らの欠点や短所、醜い点をわざと曝け出すことを「露悪」というが、自らの内部をオーバー気味に表に出すという点で正に「3」的な行為。

いわゆる「真善美」を強く求められる「6」的な社会や集団の中において自らが「6」塗れにならぬよう、適宜に「3」を用いて叛逆的なデトックスを試みる。

 

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