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数秘術関連等ツイート(2015年12月分)

 

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能面」の下 (2015.12.30 11:13)

 

その「能面」の下の素顔は、ちゃんと目を細めて喜んでいるかい?

ちゃんと眉間にしわを寄せて怒っているかい?

ちゃんと瞼を濡らして哀しんでいるかい?

ちゃんと口角を上げて楽しんでいるかい?

さもないとその素顔も「能面」のように凝り固まって、外しても変わらなくなっちゃうぞ。

 

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能面 (2015.12.30 11:02)

 

3」という動的かつカオスな感情を、静的かつコスモスな感情へと落ち着かせる「6」マインド。

怒涛の如く蠢めく喜怒哀楽を、周囲の状況に応じて合理的に抑え、宥め、調えていく。

荒々しい感情を切り出し、削り、彫り上げることで「能面」を作り出し、それを着けて静かに演じるのが「6」。

 

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闇鍋 (2015.12.30 10:45)

 

あるものは奇数というカオスでぐっちゃぐちゃであり、またあるものは偶数というコスモスでカッチカチ。

そんな両者が混在する「9」という闇鍋。慣れないうちはさぞ不可解かつ気持ちの悪いものに見えるかもしれない。

でもそんな闇鍋の中にこそ、人生の滋味とエンターテイメントが隠れている。

 

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過ぎる」が故 (2015.12.30 10:27)

 

観る人(2)は観過ぎるが故に騙され、考える人(7)は考え過ぎるが故に誤る。

 

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あんいんうんえんおん (2015.12.29 14:48)

 

案(あん)
因(いん)
運(うん)
縁(えん)
恩(おん)

これらに囚われず、そして意にも介さないことが「自由」だと思うな。

 

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乱気流を楽しむ (2015.12.29 12:56)

 

僕はパーソナルイヤー(個人年数)が「9」から「1」へ向かう端境期を「象意の嵐」と呼んでいるけれど、この別れと出会いの乱気流に揉まれて楽しむくらいがちょうどいい。

 

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運ばない (2015.12.29 8:37)

 

」という概念から離れることで、人生においてこれ以上余計なものを「運ぶ」必要がなくなってラクになるよ。

 

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尊厳の補完 (2015.12.28 16:17)

 

自らの尊厳が脆弱な人ほど「国家の尊厳」などという表現を持ち出して大上段に構えることで、自らに足りない尊厳を補完しようとするんだね。

 

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願望 (2015.12.28 16:10)

 

男性が抱く「神願望」を手っ取り早く叶えてくれるのが、数多のミニチュアで構成された「ジオラマ」なんだろうな。

高層マンションの最上階」とかもそうかもね。

 

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委ねるなキケン (2015.12.28 13:12)

 

自らの「幸せ」を他者に委ねることほど危なっかしいものはないね。

 

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天地一体 (2015.12.28 10:57)

 

ヌメロダイスで用いる十面体ダイスは概ね出目の数と接地面の数との和が「9」、つまり「逆数」の関係となる。

出目の数が天を向くということは、その逆数が地にしっかり接するということ。

表に表れる性質はそれ単体で表れるわけではなく、裏に隠れた性質があってこそ表れてくる。

 

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清潔の強制 (2015.12.27 21:44)

 

CMでやたらと菌やらウイルスやらを見せつけられ、不必要に不安感を煽られ、清潔の強制を余儀無くされる時代の「6」感と言ったらもう。

 

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定義付けるツール (2015.12.27 20:26)

 

ヌメロダイスにおける出目は「真実」を教えてくれるわけではなくて、「真実」を「定義付ける」ツールなんだ。

 

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「縛る」は「縛られる」 (2015.12.27 18:35)

 

8」、つまり「コントロール」するということは、その対象に幾重にも「2」という「ロープ」を掛けて操ること。

2」を三乗することで(2^3)生まれる「8」。

でも対象を操るために掛けた「ロープ」によって、操縦者自身も縛られてしまう。

そんな「ロープ」を手放すのが次の「9」。

 

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同じTシャツ (2015.12.27 12:10)

 

5」のザッカーバーグ氏が自らの「5(変革力)」を十二分に発揮するためにも、私生活においては逆数である「4(不変・不動・安定)」を満たした方が余計なパワーを消費せずに済むからね。

Facebook CEOのマーク・ザッカーバーグ、「なぜ毎日同じTシャツを着ているのか」に答える(RT先リンク

 

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ギャンブルでの「8」 (2015.12.27 11:49他)

 

近所の東京競馬場まで有馬記念を買いに行こうと思ったけれど、つい面倒臭くなって「馬券買いに行くべきか?」をヌメロダイスで占ってみた。

8(自制)」が出た。

他の人ならば「8」にマネー的な象意を見出し馬券を買うかもしれないけど、僕は静的な象意を優先して買うのを止める。

これでもし当初買う予定だった馬券が当たったならば、十面ダイスは不燃ゴミ行きだな。


有馬記念だけど、買おうとしていた馬は13着に終わった。

ダイスの声(「8(自制)」)を聞いておいて良かった。

とりあえずダイスは不燃ゴミにならずに済んだな。

 

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観る」を弱める (2015.12.27 11:32)

 

自宅の風呂という閉鎖空間だと特に観察するべきものが無い為、自然と「2(観る)」機能が弱まり、その分だけ「7(問う)」機能が高まっていく。

普段から様々な情報に接し過ぎてしまっている現在、自らの「2」をあえて弱め、その分「7」を強くしてみることで思わぬ着想が得られるかもしれない。

 

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「幸せ」を問う幸せ (2015.12.27 11:25)

 

自らが観察した世界を全て善悪などの概念に分類することにより、自らの「幸せ」のカタチを定義するのが「2」マインド。

でもそんな定義を根底から見直し、二極化で捉えずに「本当の幸せとは何だろうか?」と問い続ける「7」マインドこそ不幸への入口であり、より大きな「幸せ」への入口でもある。

 

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高める (2015.12.26 12:24)

 

己を高める」という呪い。

 

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返礼 (2015.12.24 16:47)

 

コンクリ打ちっぱなしの我が家には頻繁にテントウムシが入り込む。

先程入り込んだテントウムシを、こんな人工空間に居させるのは忍びないと捕まえて窓から放ったら、我が手に草の臭みを土産として置いていった。

まぁヒトの身勝手なホスピタリティへの返礼なんぞ、こんなものなんだろうな。

 

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火遊び (2015.12.24 16:36)

 

燃え盛る家を内から眺め、暑さに苦悶する自らを客観することで初めて自らの「」を生々しく感じられるという意味では確かに不倫は火遊びなんだろうな。

 

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自信」について (2015.12.24 15:56)

 

動的・混沌・チカラの直観を表す奇数の「1」は同時に「自信」をも表す。

ただし、この「自信」は奇数的であるが故に一箇所に落ち着いてはくれず、すぐにあちこちへと飛散し喪失する。

だからこそ「自信」を偶数(静的・秩序・カタチ)で落ち着かせるため「何かを成す」ことが重要となるんだ。

 

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我と無我の間 (2015.12.24 15:46)

 

それ自体が単体で存在する「1」という「有我」。

遍く全ては無でかつ不存である「0」という「無我」。

その両者の中間付近にぼんやりと佇むのが、全ては因果関係により繋がり、何もそれ単体では自存しない「9」という「」であり「無自」。

9」という雲は因果という引力で雲形をなす。

 

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均整による不均整 (2015.12.24 14:34)

 

自分自身の均整(美)を取ろうとするのが「4」マインドだが、自らの均整に注力し過ぎたあげく、社会との不均整を招くこともある。

社会との均整(美)を取ろうとするのが「6」マインドだが、社会との均整に注力し過ぎたあげく、自らの不均整を招くこともある。

一部が過ぎれば「」が歪む。

 

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狂う」とは (2015.12.24 13:24)

 

事実としての現象とは別に、自らの脳内でぐちゃぐちゃに練り上げられた「7」というカオスな思考が、スクリーンに投影された幻(当人はリアルな現象と認識している)の如く、「2」というコスモスへと固定化されていく。

この暴走した「7」でもって「2」を固結びすることが「狂う」ということ。

 

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狂い始める「7」 (2015.12.24 12:50)

 

自らの観察(2)結果に疑念を抱き「表ではこんな態度だったけど、裏ではきっとこう思っているに違いない!」と考え、相手を必要以上に洞察(7)しようとする。

そこからきっと「7」マインドは狂い始める。悪い意味でも、良い意味でも。

 

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奇形 (2015.12.24 11:55)

 

」とは「」の奇形だね。

 

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感覚人 (2015.12.23 22:59)

 

暗闇でバットの素振りをした際の音で状態を把握したり、指導の際にも擬音や擬態語を多用したりと、「5」の長嶋茂雄はつくづくその数の示す通りダイナミックかつカオスな「感覚人」なんだなぁ、などと考えていた。

 

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ブレーキは少しずつ (2015.12.23 13:02)

 

1(本能・衝動)」のアクセルで加速したものを「8(理性・抑制)」のブレーキで抑止する。

でもこのブレーキを坂道で急にかけたなら、ブレーキ自体が壊れてしまい自らの「1」が止まらなくなることも。

急ブレーキではなく、何回かに分けて少しずつブレーキを踏んだ方が安全なこともある。

 

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世のため、人のため (2015.12.22 23:42)

 

世のため、人のため」とは、結局のところ「(自分を大切にしてくれる)世のため、(自分を大切にしてくれる)人のため」ってことじゃないすかね。

 

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「野生」と「理性」 (2015.12.22 21:52)

 

1」という「野生」をコントロールすべく、「8」という「理性」の両腕でハンドルを握り締める。

でも「制御せねば」という意識が強過ぎれば、力を込め過ぎたハンドルはポロっと外れ、制御不能に陥る。

1」という「野生」を制御不能にするきっかけは「8」という「理性」だったりするんだ。

 

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じゃあ死ねば? (2015.12.22 20:56)

 

もし占いの依頼で「僕、最近死にたい気持ちが収まらないんですけど、一体どうしたらいいですか?」なんて尋ねられたら「じゃあ死ねば?」って答えると思う。

死ぬことを許されることって、実はとてつもない「優しさ」なんだぜ。

もちろん僕にそう言われたことで逆に生きていってもオッケー。

 

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今日は冬至 (2015.12.22 17:02)

 

北半球「今日は冬至!

南半球「今日は夏至!

赤道付近「へぇ

 

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逆転する表現 (2015.12.22 13:34)

 

一部の異常な事例を「異常な○○」とマスコミが取り上げた結果、いつの間にか「○○は異常」というような形で民衆に伝わっていく。

 

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真実」は主観次第 (2015.12.21 18:50)

 

いくら科学的根拠により導かれた「真実」であったとしても、それ自体が「真実性」を担保してくれるとは限らない。

真実性」を与え得るのは、いつだって「主観」なんだ。

 

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堕落論 (2015.12.21 18:30)

 

坂口安吾の「堕落論」を「3(堕落も含めた"生"そのもの)」と「6("生"を美しく調える機能)」の対比で読んでいくと、数の象意の理解にも繋がっていくと思う。

 

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「鈍化」で自らを守る (2015.12.21 18:14)

 

眼前において「5(破壊)」が繰り広げられた時、ヒトの感覚は自らを守るためか往々にして「4(鈍化)」となる。

 

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数性」の本質 (2015.12.21 17:24)

 

根が明るい「7」もいる。
根が暗い「7」もいる。

明るく振る舞う暗い「7」もいる。
暗く振る舞う明るい「7」もいる。

自らも持ち、そして誰もが持つ特定の「数性」を用いて、環境の中で自らをどのように処していくかを対症療法的に決定していく

その影響性こそが「数性」の本質。

 

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英雄を崇めるな (2015.12.21 15:26)

 

Fate/Zero」が僕に教えてくれたのは、「英雄」や「奇跡」を崇めるな、そしてそれらに騙されるな、ということだね。

英雄」の名の下に多くの人が落命し、「奇跡」の名の下に多くの人が盲目となる。

 

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その本心は本心? (2015.12.21 15:18)

 

己の本能に基づく本心、いやヒトの本能に基づく本心を知りたければ、ケモノを観察するのが手っ取り早い。

過度に餌付けされたケモノがぶくぶくと太っていく様。

自らが「本心」と定めているものは、果たして本能に基づく本心なのかどうか。

その「本心」自体がデコレーションかもしれないよ。

 

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頑張れば報われる? (2015.12.21 15:00)

 

頑張れば報われる」という言葉自体が一種の麻薬だね。

自らの本心である「頑張らなくても報われたい」を麻痺させるための。

 

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「善性」はほどほどに (2015.12.21 0:02)

 

ヒーロー」とか「超人」という存在に無条件に「善性」を与えるのはやめようよ。

 

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無検証 (2015.12.19 14:26)

 

7」マインドとは、つまり存在を「疑う(検証する)」ということ。

でもそんな幾重もの検証をクリアした存在に対しては、一気に「2」の「信じるというロープ」を繋ぎ止める。

そうなると今度は自らの「7」機能を「悪いもの」として封印してしまい、無検証のままに盲信へと走ることとなる。

 

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アンチ」で楽に (2015.12.19 13:01)

 

6(ホスピタリティ)」が苦しい時は、「3(アンチホスピタリティ)」で楽になるべ。

 

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一般化と特殊化 (2015.12.19 9:54)

 

万象を分類(線で分ける)したり、関連付け(線でつなげる)したりという「2」による知の秩序化により万象は「一般化」や「言語化」されて、より広く共有できるようになる。

7」という知のカオス化はこの「2」の線を解(ほぐ)す行為であり、万象は「特殊化」や「非言語化」されて完全に個人に帰する。

 

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世界を割り切る(÷) (2015.12.19 0:01)

 

」とは世界を割り切る(÷)という「2」的な行為であり、それは静的かつ秩序化された「」。

そんな「2」的な「」が増えた分だけ、動的かつ混沌のままの「7」的な「」は減っていく。

割り切れない世界を延々と割り続け、小数点以下を無限に計算し続ける徒労こそが「7」の醍醐味。

 

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どんな人にもなれない (2015.12.18 17:42)

 

オールマイティな「9」の「どんな人にもなれる」性質は、結局のところ「どんな人にもなれない」性質というのとイコールだね。

 

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「当たっている」 (2015.12.18 17:39)

 

当たっている」と「当たっていると感じる」の間に広がる100光年ほどの距離。

 

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噛み合わずとも (2015.12.18 12:15)

 

ただ一方的にしゃべくりまくり(3)、ただテキトーに受け流し(9)、そんな互いを意に介さなければ、とても負荷の少ないコミュニケーションができるかも。

両者は全く噛み合っていないが、この両者の真ん中に「話してあげる」と「聞いてあげる」、二つのニーズを共に満たす様式美(6)が現れる。

 

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語呂合わせ (2015.12.16 23:30)

 

369」を「弥勒(みろく)」と読ませて有り難がる行為。

語呂合わせ」は正に日本のゲマトリアだね。

 

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現実化のプロセス (2015.12.15 20:54)

 

自らの内側にて吹き荒れる「7」という精神的なチカラが、自らの強固な意志によって凝縮・圧縮・組織化され、「8」という物質的なカタチとして自らの外側に顕現していく。

この「7」から「8」へ、奇数から偶数へと至る過程こそが「現実化」というカオスからコスモスが生まれる成り立ちそのもの。

 

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攻撃とは過剰な防衛 (2015.12.15 15:57)

 

5」のヒトラーが求め続けたのは、逆数「4」という「ホーム」としての国家だったのかな、と。

そんなホームを諸外国という「外なるよそ者」と、ユダヤ人等という「内なるよそ者」から守り抜こうとした結果の暴走。

攻撃とは過剰な防衛」であり、「4」への拘泥が「5」を生む下地となる。

 

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「9」という外交政策 (2015.12.14 23:58)

 

江戸時代、かの琉球王国は日本と中華帝国(明・清)に両属の態度を取っていたけれど、この政策こそ偶奇両有の「9」的と言えるし、普段から「9」マインドの特徴としてあげている「なんくるないさぁ」精神が育まれた一因なのかも、などと考えてみたりもする。

 

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固結びされたロープ (2015.12.14 21:56)

 

依存」とは自らを定義付けできていないからこそ陥るものと捉えがち。

でも実際には頑固なまでに自らを定義付けしたからこその状態だったりする。

つまり「私にはあの人(物)が絶対に必要である」という頑なな定義付け。

この固結びされた歪な「2(ロープ)」を解くのは至難の技だ。

 

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定義付けの「2」 (2015.12.14 20:55)

 

他者を観察し繋がることにより自らを定義するのが「2」であり、その定義付けの材料とすべく、より多くの人々と分け隔てなく交際していく。

しかし自らの確固たる定義付けができてしまえば、交際範囲は極端に狭まっていく。

特に宗教や権威者への傾倒、親友や異性への依存などがそれに当たる。

 

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他」で「自」を知る (2015.12.14 17:13)

 

他者をつぶさに「2(観察)」することにより、自らの「7(洞察)」へのヒントを得ようとするマインド。

」を細かく見て、「」を深く知る。

 

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二つの「調和」 (2015.12.14 11:38)

 

2」の調和とは自己と他者、つまり「個人対個人」という構図の中の調和。

6」の調和とは自己と集団、つまり「個人対社会」という構図の中の調和。

2」ばかりに偏ると「6」が失われるし、その逆もまた然り。

でも「2」があってこそ「6」が輝けるし、その逆もまた然り。

 

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Mr.マスターナンバー (2015.12.14 1:16)

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの生年月日は父方の祖父の日記によると、1452年4月15日(当時はユリウス暦)であり、単数変換すると22→「4」だが、途中で止めればマスターナンバーの「22」となる。

もう彼こそが「ミスター・マスターナンバー」ということで良いのではなかろうか。

 

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補数」を馴染ませる (2015.12.14 0:02)

 

7(懊悩)」そのものが「3(愉悦)」となるならば、それはきっとすばらしいこととなる。

4(個人の安泰)」のままでも「6(他者への奉仕)」が可能となれば、それはきっとすばらしいこととなる。

補数同士が良い塩梅で馴染めば、足して10→「1」という強力なベクトルとなっていく。

 

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どちらの「中庸」か (2015.12.13 23:34)

 

中庸」という概念を「9(両極の混淆)」と捉えるのか、もしくは「0(無極)」と捉えるのかで、その有り様は大きく異なっていくと思う。

もちろん「9」の果ての「0」というパターンもあるが。

 

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型」を見る (2015.12.13 22:04)

 

4」マインドは自らの「」を内側からつぶさに見て、いかに漏れ出す箇所無く堅牢に造られているかをチェックする。

6」マインドは自らの「」を外側からつぶさに見て、いかに傷や歪みが無く優美に調えられているかをチェックする。

 

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大放言アピール (2015.12.13 9:48)

 

歪んだ「6」という極端な「排他により清浄を保つ」思想の持ち主ほど、歪んだ「3」という歯に衣着せぬ大放言で人気を集めたがる。

 

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取りこぼしたもの (2015.12.12 12:16)

 

7」という非言語思考を「2」という言語思考に変換する際、どうしても取りこぼしてしまうものが、自らに「変革」をもたらすのかもしれない。

7」と「2」の差である「5」によって。

 

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なったこと (2015.12.12 11:38)

 

そういえば、僕は今回精巣腫瘍になったことや時期などについて、特に数秘術的な検証を行っていないや。

なったこと」は「なったこと」だし、それ以外の理由付けは特に必要ないと思うし、ぶっちゃけ面倒臭いし。

理由」や「意味」を与えれば、その「なったこと」に重さが生まれてしまう。

 

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だからこそ生き残る (2015.12.11 23:30)

 

ある人は占いを「本物」と言う。
ある人は占いを「偽物」と言う。

ある人は占いを「神秘」と言う。
ある人は占いを「科学」と言う。

ある人は占いを「芸術」と言う。
ある人は占いを「学問」と言う。

これほどまでに占いとは、曖昧模糊とした存在であり、だからこそ現代社会でも生き残る

 

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占いというもやもや (2015.12.11 23:26)

 

占いって、この現代社会においては特に「9」的な存在として「もやもや」とした何かに包まれながらいろんな人のいろんな隙間に入り込んでくる。

そんな占いをニュートラルに扱えば扱うほど、そんな「もやもや」はより強化されてしまう気がする。

社会における「居場所」の境界線も曖昧なままだ。

 

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減点法と加点法 (2015.12.11 21:50)

 

6」という「減点法意識」は、物事の完成度を効率的に上げてくれる。

でもそんな「6」に限界を感じた時、逆数「3」という「加点法意識」を採用してみることで、きっと完成度の「」が広がることだろう。

6」の羽生結弦を見ていると、そんな「6」⇔「3」の行き来を感じさせられる。

 

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誘蛾灯 (2015.12.11 21:40)

 

4」のホリエモンが見せる、あざといほどの逆数「5」。

そんな「5」は、まるで誘蛾灯のように一部の人々を熱狂的に吸引する。

でも本当に彼が大切にすべきなのは、「5」に憧れ集まる者たちではなく、ホリエモンの「4」の部分を理解してくれる人たちだと思うな。

 

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モットー (2015.12.11 15:26)

 

明日できることは明後日やる」が僕のモットーです。

 

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家」っていいねぇ (2015.12.11 15:23)

 

あれだけ入院とか手術とか片タマさようならとかつぶやいておきながら、いざ退院して自宅でまったりしているとそんなことすらふと忘れている自分に気づく。

座る姿勢を変えたり、立ち上がったりした際の手術痕の痛みで思い出す感じ。

片タマの喪失感も特に無く。

」っていいねぇ。

 

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プロトコル (2015.12.11 15:10)

 

プロトコルを単純化・最小化して、全てをスピードアップさせる「1」マインド。

プロトコルを複雑化・最大化して、スムーズなシステム運営を図る「8」マインド。

 

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届けるべきは情熱 (2015.12.10 22:50)

 

妻から借りた「Fate/Zero」小説版の第1巻を読了。

著者で「6」の虚淵玄は本作の執筆により「作家が読者に届けるべきは品行方正なサービスや従順な献身などではなく、己の筆を駆り立てる情熱と動機そのもの」であると気付かされたとのこと。

まさに「6」が「3」に気付いた瞬間だ。

 

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人体実験 (2015.12.10 18:36)

 

そうそう、今回めでたくガンになったけれども、願掛けやヒーリングの類を一切行わない「人体実験」を自らに課しているよ。

だって、それが「」だもの。

それらを頼ってしまった時点で「」は死んでしまうから。

 

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才能」への気づき (2015.12.10 14:20)

 

自らが特に意識せずとも発現できる「3」的な才能は、「6」的な教育や鍛錬を重ねた後になって初めて「これが俺の才能なんだ!」と自ら自然に認められるようになるのかもしれない。

ただ問題なのは強過ぎる「6」的環境に蝕まれ続けると、持ち味としての「3」を自ら過小評価しがちとなる点か。

 

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一方的な「使命」 (2015.12.10 14:10)

 

一族や社会への「使命感」という「6」的価値観から逃亡を果たす「3」的人間。

そんな「3」が生を重ねるにつれて様々な理不尽や矛盾に直面し、結果元の「6」への帰還を果たすという一種の業。

往往にして「使命」とは一方的に与えられるものだが、それを自発のものとして思い込む「3」の業。

 

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「動の思考」の先 (2015.12.10 13:53)

 

7」という「動の思考」が心を向けているのは「7」自体ではなく、「2」という「静の思考」の対象、つまり観察対象という数秘術的翻訳。(RT先リンク

 

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自らに合った小社会 (2015.12.10 13:28)

 

TPOを弁えたり、空気を読んだりなど、社会の側に過剰に自らを合わせるべく調えていく「6」的行為に疲れ果てた挙句、逆数「3」的な開き直りで自己を開放していった方が結果として「自らに合った小社会」を作り出せるのかもね。

自らを殺さない、より自然な「6」はきっとそこから生まれるんだ。

 

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鮮やかな「自由」 (2015.12.10 13:11)

 

今回の入院のように「4(安静)」を強いられる環境だと、「3」と「5」という二つの隣接数で表される二つの「自由」がより鮮やかに見えるようになるね。

偶数性を逸脱して楽しむ「3」的な自由。

偶数性をぶっ壊して抗う「5」的な自由。

さて、退院後は何から脱して、何を壊して遊ぼうか。

 

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野坂昭如 (2015.12.10 10:28)

 

6」の野坂昭如が亡くなったとの一報。

氏ほどに逆数「3(諧謔)」を存分に堪能し、また存分に魅せてくれた人はそうそう出てこないだろうな。

そんな逆数「3」無双を自らの「6(美学)」へとフィードバックさせていったんだろうね、たぶん。

おつかれさまでした。

 

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洞察の年 (2015.12.10 8:49)

 

そういえば僕の個人年数は39歳となった今、「7」(39+基本数「4」→43→「7」)となって少し経つ。

この「7(洞察)」が表のテーマだとすれば、これを喚起するために起きるのは逆数「2(観察)」となる。

何か一つのことを具に観察することにより、深い洞察を得ていく年。

 

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精巣腫瘍 (2015.12.10 7:14)

 

しかしまぁ、今回の入院と手術でいろんな体験ができたなぁ。

もちろん体験しないに越したことはないかもしれないけど、体験しちゃったのならば折角だからとことん味わっていくよ。

 

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「5」を育むもの (2015.12.9 6:30)

 

何たって宮澤賢治は「5」の人だからなぁ。

そしてそんな「5」を育むのは逆数である「4」、つまり「故郷の大地への強い意識や愛着」なのかもね。(RT先リンク

 

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「1」あってこそ (2015.12.8 15:48)

 

9」という没我の海に飛び込むためには、「1」という我がしっかりしていないと融けて無くなってしまう。

それぞれの「1」が尊厳を持ってきちんと存在してこそ、「9」という世界は多様性という見事な色彩を帯び始める。

良い「1(個)」であれ。
良い「1(我)」であれ。

 

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強欲なやつ (2015.12.7 19:25)

 

誰か 「もっと生きていたい!」

老師 「フォッフォッフォッ…何とも強欲なやつぢゃのう」

誰か 「もう死んでしまいたい…」

老師 「フォッフォッフォッ…何とも強欲なやつぢゃのう」

 

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消したり蘇らせたり (2015.12.7 15:12)

 

9」という赦しと癒しの抱擁により、喧しい「」を消していくこと。

1」という烈しく雄々しき衝動により、尊い「」を蘇らせること。

この二つを同時に実現してくれる便利な存在こそが、皆が「」と呼ぶ概念なのかもしれないね。

 

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冷や水 (2015.12.7 13:00)

 

あらゆる占いや神秘に「冷や水を浴びせる」のが僕の趣味です。

 

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お笑い (2015.12.6 19:39)

 

綿密な計算の元にネタを作り、何度も繰り返し練習を重ね、その結果を更にフィードバックしていく、つまり「6」の積み重ねでもって観客を大いに「3(笑う)」させる。

そんな「6」→「3」の変換術を堪能している。

あっ、「M-1グランプリ」ね。

 

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ピンチはピンチ (2015.12.6 17:24)

 

格言つき日めくりカレンダー「まいにち修造!」の報道の中で、チラッとヒロシのネガティヴカレンダー的なものが見えた。

そこには「ピンチはピンチでしかない」とあって、思わず笑っちゃった。

確かに「ピンチはチャンス!」などと言えるのは、そのピンチを乗り越えられた僅かな人だけだからね。

 

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語るほど「野暮」 (2015.12.6 12:28)

 

そもそも「幸せ」なんてものは、語れば語るほど「野暮」になっていくというもんだ。

 

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幸せ」という評価 (2015.12.6 12:23)

 

そろそろ「幸せ」という評価指標から離れようぜ。

本当の意味での「幸せ」とは、そんな評価の規格外なんだからさ。

幸せ」という評価指標自体が「幸せ」を矮小化していくんだ。

 

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「ペルソナ」の癒着 (2015.12.6 12:14)

 

感情の数である「6」は、同じく感情の数である「3」がありのままの感情をそのまま出すのとは対照的に、自らの感情をまるで俳優のように演技的にコントロールしていく。

しかしその演技をやり過ぎると、その演技こそが自らの素の感情であると思い込み始めることもある。

ペルソナ」の癒着だ。

 

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掘り当てる「地下水」 (2015.12.6 1:56)

 

7」とは「疑う」であり、そしてそれは真実を探るために、目の前の現象を知性のスコップで「掘る」ということ。

これはとてつもない重労働だが、掘らなければ真実という「地下水」を見つけられないし、汲み上げることもできやしない。

その「地下水」こそが、知性の渇きを癒してくれる。

 

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兵士になる将軍 (2015.12.5 23:25)

 

1」が「戦士」なら、「8」は「将軍」。

ただし「8」から見て、自らが率いるべき「兵士」たちの能力に信頼が置けない場合、本来「将軍」である自らが一人の「兵士」となって職務を遂行しようとする。

それは「兵士」としての理想像を過度に投影したものとなり、ある種の「マシーン」と化す。

 

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お金」と「制御」 (2015.12.5 23:19)

 

8」マインドにとって最も重要なのは、それが「制御可能」かどうかということ。

本来「お金」とは万事をコントロールするためのツールに他ならないが、それによって自らの欲望が過度の刺激を受け、自身が制御不能となる恐れを抱いた途端に「お金」を忌み嫌い、一気に清貧へと走る「8」もいる。

 

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逆性」の存在理由 (2015.12.5 19:59)

 

その奇数(動性・カオス・チカラ)偶数(静性・コスモス・カタチ)を健全化させよう。

その偶数奇数を健全化させよう。

その「0(ニヒル)」で「9(雑多・曖昧・カオスモス)」を健全化させよう。

逆性」にはきちんと存在理由がある。

 

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まずはセルフケア (2015.12.5 16:50)

 

幼少の頃から「社会の役に立つこと」、つまり『「6」であれ!』ときつく教えられてきた人が、ストレス解消のための逆数「3(遊び楽しむ)」をうまく取り入れられず、逆に忌み嫌うケースも少なくない。

そんな「6」な人には、まずは補数「4(セルフケア)」から始めさせるのが近道かもしれない。

 

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生(なま)」である私 (2015.12.5 15:52)

 

私は生きている!」と言い切るほど傲慢にはなれない。

私は生かされている!」と言い切るほど謙虚にもなれない。

だから「私は生(なま)!」とでも表明しておくとしよう。

 

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生」の正体 (2015.12.5 15:40)

 

生きている」と「生かされている」の間に、ただぼんやりと漂っているものこそが「」なのかも。

つまり能動も受動も、主体も客体も、おぼろげではっきりとしない、それでもただ連綿と存在していく「9」的なものが「」の正体なのかもしれない。

 

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占い師は「演出家」 (2015.12.5 15:18)

 

占い師とは自らが脚本した「ドラマ」の中において、数や星や札を登場人物として演技させる、つまり「演出」しているだけなのかもしれない。

ここで重要となるのは登場人物では無くあくまでも演出家たる占い師なのであって、登場人物に全く神秘性が無かったとしても「ドラマ」はきちんと成立する。

 

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巨額の寄付行為 (2015.12.5 12:03)

 

5」のマーク・ザッカーバーグの掲げる理念に「迅速に行動し物事を破壊せよ」というものがあり、正に「5」そのもの。

そんな彼が強く意識して守ろうとするのが、逆数「4」の家族という名の居場所。

その家族が無事でいられる社会を作るため、「4」の補数「6」を活かして社会に大奉仕する。

 

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生んで、育てる (2015.12.5 11:26)

 

3(生む)」というカオスな「」のチカラ。

6(育てる)」というコスモスな「」のカタチ。

この両者の交じり合いこそが、形態や状態を超越した「9(遍く全て)」という「」。

 

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にんげんだもの (2015.12.4 20:06)

 

滅んでもいいじゃない、にんげんだもの。

ごつお

 

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未婚の自由 (2015.12.4 19:59)

 

中年期に入った独身の子供に対して「もう外国人でもバツイチでもいいから結婚して欲しい」などと嘆く親がいるけれど、そんな子供にはそろそろ『結婚なんぞしなくてもよい自由』を与えてやったらどうだろうか。

家を継ぐ」などという古臭いしきたりから、もうみんな自由にしてあげようよ。

 

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「8」の年の断捨離 (2015.12.4 19:46 一部改変)

 

8」の年の断捨離は「自他を含む万事をコントロールしやすくするため」のもので、「9」の年のそれは「自他を含む万事への興味関心が淡くなるがゆえのもの」という感じかもしれない。

 

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「9」の年の断捨離 (2015.12.4 18:26 一部改変)

 

9」の年における断捨離は、この9年間に蓄積したあらゆるモノを見返すということ。
 
でもその作業の際はムダに埃が舞い上がって心が咳き込むこともある。

その分、次の「1」の年には軽やかになって猛ダッシュを切ることができるだろうね。

 

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マインドブロック (2015.12.4 17:21)

 

「人を信じて繋がり合うべし(2)」

「物事は飽きずに続けるべし(4)」

「他者を助けて社会に役立つべし(6)」

「自制心を養い大いに忍耐すべし(8)」

幼少期より与えられたこれらの偶数的価値観は、大人になっても「マインドブロック」の形で残り、奇数的な行動を大きく阻害する

 

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「2」の理、「9」の理 (2015.12.4 13:59)

 

自らを何かと「繋げる」ということは、則ち自らと別の何かとを「分かつ」ということ。

繋ぐにしても分けるにしても、二点間に「線を引く」ことで生じる断絶こそが「2」の理

全てのものにはっきりとした線を引かず、よって繋ぐも分けるも曖昧模糊にしていくことで断絶を防ぐのが「9」の理

 

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優柔不断 (2015.12.4 11:02)

 

数秘術において「2」の人を「優柔不断」と捉える向きがあるが、僕はそれを逆数「7」のいたずらであると捉えている。

そもそも「2」とは全てを二極化し、白黒をハッキリさせる数。

でもハッキリさせ過ぎる傾向を無意識のうちに恐れるあまり逆数「7」が心に現れ、いつまでも迷い続けてしまう。

 

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社会的な人間 (2015.12.4 10:48)

 

反社会的な人間」ならば社会にとって好ましくない存在なのかもしれないけれど、「脱社会的な人間」ならば別に存在していてもいいんじゃないか。

何でもかんでも「社会」という檻に閉じ込めなくてもいいよ。

 

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裏切り (2015.12.3 23:16)

 

奇数の一見「裏切り」に見える行為は、ただ変化したがっているだけ。

偶数の一見「裏切り」に見える行為は、ただ安定したがっているだけ。

偶奇両有の「9」の一見「裏切り」に見える行為は、ただ自らの方向性が定まっていないだけ。

つまり、誰も「裏切って」なんかいないんだ。

 

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ねるねるねるね (2015.12.3 11:04)

 

心の中で年がら年中、精神の「ねるねるねるね」をぶつぶつ呟きながらかき混ぜているのが、見せぬカオスの「7」マインド。

そんな精神の「ねるねるねるね」を周囲に見せつけ、「ほらほら!こんなにぐっちょぐちょだよ!」などと笑いの形で開陳して消化していくのが、見せるカオスの「3」マインド。

 

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融和への険しい道 (2015.12.2 23:45)

 

奇数も偶数も互いの存在を認め合って、共に仲良く暮らそうよ!」などと両者の融和を望むのが「9」マインドの真骨頂。

とはいえ両者共に中々聞く耳を持ってくれず、下手すると両者から「ふわふわ理想論者は黙れ!」などと言われかねない。

両者が戦いに疲れ果てて、漸く「9」の心を理解する。

 

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宥和と融和 (2015.12.2 23:32)

 

相手の態度をゆるして仲良くするのは「宥和」。

相手と打ち解けて仲良くするのは「融和」。

同じ読みの両語はどちらも偶奇混淆の「9」的な言葉だが、後者の方が実行のハードルは高そうだ。

まずは前者の「宥和」という多様性から少しずつ模索し始めたらどうだろうか。

 

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手に余る欲 (2015.12.2 17:52)

 

人生って「手に余る欲」を手放すことでだいぶラクになる気がする。

 

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「7」の二つの指針 (2015.12.2 15:07)

 

様々なことで常に思い悩み、精神のカオスがぐるぐると回る」というような「7」状態の人。

そんな人には二つの隣接数が指針となり得る。

自分同様に苦しむ人を救いたい」と欲して「6」へと向かう道。

修練によってこんな自分を見事にコントロールしてやる」と欲して「8」へと向かう道。

 

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安定のためのウソ (2015.12.2 14:02)

 

周囲を戸惑わせるようなウソをついて楽しむのが「3」的なウソだとすれば、自己や周囲の安定性を保つためのウソは「6」的なウソになるね。

相手を心配させないウソ。
自他の不安を取り除くウソ。
関係性を保つためのウソ。

いわゆる方便としてのウソをつくことで、滞りなく社会を回していく。

 

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アンチ長生き (2015.12.2 13:01)

 

老後の心配について朝のテレビで取り上げていたけれど、なるべくなら「老後」の無い人生を送れるようにしていきたいなぁ。

アンチ長生き

 

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「9」という大葛藤 (2015.12.2 10:03 一部改変)

 

奇数と偶数のイメージが入り混じる「9」という数は正に「葛藤」そのもの。

自らをしっかりとコントロールしていこうとする「8」の機能と、そんなコントロールから必死に逃れようとする「1」の本能とが、自らの中で大葛藤する「9」。

そんな自分を諦められれば、「9」はきっと軽やかになる。

 

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ガーデニング (2015.12.1 22:15)

 

地中の種が発芽し始めるように、内側から外側へと成長・拡張していく様を表すのが「3」。

とはいえ「3」を伸び放題にしてしまえば、カオスなジャングルが広がるだけとなる。

そんな「3」を剪定するかのように矯正・教育・指導していき、コスモス(秩序)なガーデンを作り上げるのが「6」。

 

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模範的か反模範的か (2015.12.1 8:44)

 

6」という数は「ホスピタリティ」の数であり、それはつまり「みんなの役に立つことを最大の喜びとする」数であり、模範的な喜びを表す。

でもそんな「6」とは真逆の「3」という喜びもある。

それはつまり「無益や無駄を存分に楽しむ喜び」であり、反模範的な喜びを表す。

だから楽しい

 

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